2009年10月20日

龍馬死なずば つづき

 坂本龍馬を好きだという人は多い。おそらく、歴史上の人物の中では一番の人気者なのではないかと思う。そんな龍馬だから生きていれば、日本の歴史を変えるほどの働きをしてくれたに違いないと、後世の人々が思うのも無理はない。
 だが、坂本龍馬の評価が飛躍的に高くなったのは、戦後になって司馬遼太郎が「竜馬がゆく」を書いてからである。慶応3年当時の坂本龍馬が今ほどカリスマ的な力を持っていたわけではない。倒幕の意志を強く持っていた薩摩や長州を押さえて、自分の主張を通すことが果たしてできただろうか。
 最近の歴史好きブームを見ていると、卓越した個人(英雄)の意志が歴史を作ってきたのだという、英雄史観のようなものが見え隠れするのである。明治維新にしても、西郷隆盛、木戸孝允、坂本龍馬といった英雄たちが、それぞれの強い意志をぶつけあうことによって、成し遂げられたのだという、まるでゲームのような感覚でとらえられているようだ。
 そのように考えると、坂本龍馬という駒が一つ欠けるということは、歴史が全く変わってしまうほどの一大事なのだ。しかし、倒幕という意志は西郷や大久保個人のものというわけでもないのではないか。長い薩摩や長州の歴史と幕末の政治や経済の情勢、そういったものがからみあって醸成されてきたもののはずだ。
 坂本龍馬の公議政体論にしても、決して竜馬の専売特許などではなく、横井小楠や後藤象二郎も同じような考えに立っていたのである。
 坂本龍馬が暗殺されたことで、時代の歯車は微妙に狂いが生じたではあろうが、大きく歴史を変えるほどのものであったわけではない。
 もし、龍馬が生き延びて戊辰戦争が回避されたとしても、それは龍馬個人の力によるのではなく、いろいろな要素が作用しあってのことなのではないか。
 


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Posted by 南宜堂 at 21:37│Comments(0)幕末・維新
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