2009年10月25日

世直しとええじゃないか

 大政奉還から鳥羽伏見の戦いへと、時代は緊張の中で推移していく。それと並行するように「ええじゃないか」の熱狂がまちまちを席巻していった。この両者の間には何らかの関係があったのか。このような民衆の動きは、明治維新という大業の背後で、うごめいているものとして、背景のようにしか語られることがない。
 あるいは、倒幕派が世間の混乱のためにおこした騒動であるとか、幕府がおこしたガス抜きだという風にもいわれるのだが、範囲が広いのと加わった人が多いことから考えれば、人為的というには無理があるようである。
 「ええじゃないか」の発端は天から伊勢神宮のお札(伊勢神宮ではお札のことをお祓いとよんでいるので、正しくはお祓い)が降ってくるというものであった。これは60年周期で起ったといわれている「おかげ参り」も同じで、「ええじゃないか」は「おかげ参り」の一種であるとされる所以である。
 民俗学者の宮田登氏は「ええじゃないか」の背景に、人々の豊穣への祈りの姿を見ている。(宮田登『江戸のはやり神』)すなわち、おかげ参りが凶作の翌年の豊作の年に行われること、踊って豊年を祈願するというような文句がはやし言葉の中に見られるというのである。
 ここで思い出されるのが、天の岩戸の神話である。岩の陰に隠れた天照大神の関心をひくためにアメノウズメが踊り、神々がはやし立てるという話である。これを太陽の復活を願い、翌年の豊作を祈る祭りであると考える人もいる。
 それではこの「ええじゃないか」はたまたま明治維新と軌を一にして起っただけで世直しとは何の関係もなかったのだろうか。私はおおいに関係があったと思っている。人々の豊作への期待というのは、すなわち五穀が豊かに実り、人々が安楽に暮らせる世への期待ということである。それを踊りという表現で神に訴え、神を喜ばすことで実現させていただこうという願いなのである。
 折しも世の中が改まり、天子様中心の世の中になりそうな情勢である。次の世が人々にとって豊かでいい世であってほしいという願いも「ええじゃないか」の乱舞の中には込められていたのではなかったのか。そんな期待に膨らんだうきうきした気分というのが「ええじゃないか」にはある。


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Posted by 南宜堂 at 23:46│Comments(0)幕末・維新
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