2009年10月26日

世なおりへの期待

 世なおりへの期待感という意味では、最近私たちは同じような体験をしている。
 自民党の総理大臣が国民の信頼を失って次々と変わっていく時、民主党は「政権交代」というスローガンを掲げはじめた。さまざまな政権公約に先立って、まずは「政権交代」をという訴えであった。
 この作戦が成功したのかどうか、8月の総選挙では、民主党は308人という大量の当選者を出し、政権の座についたのである。人々の「政権交代」への漠然とした期待感がその背後にはあったのではないかと思われる。
 「政権交代」という言葉を「世なおり」という言葉に直せば、慶応3年当時の人々の心情は多少は理解できるかもしれない。前年の一揆や打ちこわしの頻発にみられるように、人々の暮らしへの不安や不満は極限にまで達していた。
 そして翌年、どうも世の中変わるらしいというあるいは変わってほしいという渇望が「ええじゃないか」の熱狂を生んだのではないだろうか。
 さて、その薩長政権はそんな人々の願いにこたえることができたのか。あるいはそもそもそんな願いにこたえるつもりはあったのか。明治になって再び一揆や打ちこわしが頻発し、さらには士族の叛乱までも起るようになったという現実が、その答えの一端を示しているようなのだが、それにはまた別の考察が必要になる。

 


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Posted by 南宜堂 at 23:27│Comments(0)幕末・維新
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