2010年07月01日

武市瑞山の毒まんじゅう

 昨夜テレビドラマ「龍馬伝」の時代考証を担当されているY氏にお会いしたので、例の疑問「毒まんじゅう」の一件をお聞きしてみた。武市瑞山が岡田以蔵に毒まんじゅうを与えて殺そうとしたのは事実であるという。
 このことはほとんどの資料にもあって、よく知られているのだという。知らなかったとはお恥ずかしい話である。ただし、岩崎弥太郎が関与していたというのはフィクション、以蔵は毒まんじゅうを食べたが死ななかったそうである。
 テレビドラマで描かれる武市は、誠実で妻思い、優しい心遣いも見せる人物であり、とても同志を毒殺するようには見えない。もっともその言い訳として、拷問される以蔵を見るのが辛い、楽にしてやりたいという思いやりの心からという風に描かれてはいるが、それはそれで身勝手な御都合主義ではないかと思う。
 同じ回に登場した西郷吉之助にしても、武力倒幕をめざす革命家であるならば、あんな聖人君子風の物腰でいいのだろうか。
 今の日本から革命家というものが消えて久しい。そう言って語弊があるならば、武力革命家と言い直してもいい。革命とは階級間の壮絶な戦いであり、流血や犠牲も当然ながらある。
 明治維新は革命である。階級間ではないという意見もある。封建領主を代表する幕府とブルジョアの支持を受けた薩摩・長州、戦ったものにはその自覚がなかったろうが、そういう構図で考えられる。いずれにせよ、徳川から権力を奪いとる戦いであったのだ。
 明治維新の話はさておき、土佐に話を戻すと。
 土佐勤王党結成の頃の土佐藩の様相というのは、各者各様の思惑が絡み合っていて解きがたい。
 参政吉田東洋の立場は、保守的な藩の上層部から見ればやり過ぎと映り、折りあらば失脚させるのを狙っていた。
 また、領民からは、藩の産物を専売制にして富を藩に集中させるような政策をとっており、不満が募っていた。
 土佐勤王党からも幕府に追随する奸物であり、あきらかに敵対する者であった。
 吉田の唯一の支えは、前藩主容堂の信任だけであった。そのために保守層は口をつぐみ、勤王党にしてもその追求には迫力を欠いたのである。
 容堂は吉田の政治的な手腕を高く評価していた。性格的には傲慢であろうと、藩政の舵取りだけをしっかりやってくれればそれでよかったのである。
 反対に土佐勤王党に対しては苦々しいものを感じていたようだ。犬猫同然の下士の分際でと、ドラマでは描かれるが、賢明な容堂はそれだけで毛嫌いしたわけではない。
 土佐勤王党の盟曰に藩主の地位を脅かす危険なものを感じたのである。「我が老公の御志を継ぎ」とあるが、容堂単は純な尊王攘夷ではなかった。関ヶ原で敵となった島津や毛利とは違うのだという自負があったのである。
 さらには、土佐勤王党の掲げる「尊王攘夷」に藩主の地位を無視して直接朝廷と結びつこうとする武市らの意志を読み取っていたのである。


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Posted by 南宜堂 at 11:37│Comments(5)幕末・維新

この記事へのコメント

 ひさしぶりです。

 毒まんじゅうの件ですが、こういうご意見もあるようです。
http://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-852.html

 申し訳ないですが、「龍馬伝」で島津久光を「薩摩藩主」のテロップが流れた際、近々に講演があり、問答の際「時代考証はふたりいるから僕は無実だ♪」

 みたいなことを言う御仁なので、私はこのブログ主の方を信用してしまいます。

 会津糞尿事件のときも反省の弁はない御仁が「龍馬伝」の時代考証をしてるのはある意味「時代」なのでしょうね。

 ちょっと煩悶しています。
Posted by 権兵衛 at 2010年07月05日 10:14
権兵衛さま
毒まんじゅうについては勉強させていただきました。
ただY氏によりますと、時代考証家の意見というのはなかなか取り入れてもらえないようです。Y氏の名誉のためにも申し添えておきます。
Posted by 南宜堂南宜堂 at 2010年07月06日 09:58
管理人さま、

Y氏の名誉…

それを言うなら責任を押し付けられたもうひとりの時代考証家といまも糞尿降伏説を否定されないことによって傷つけられた会津若松市民の名誉との天秤でしょうね。

ひとこと、

「ゴメン」

こうした言葉が風説でも聞こえてくれば多少の溜飲は下がりますが、そういった話は周辺から一切聞こえてこないことを申し上げます。
Posted by 権兵衛 at 2010年07月06日 16:31
権兵衛さま
不勉強で糞尿降伏説についての論争はよく知りません。
私は歴史というのは過去に起こったことではあるが、その真実というのはなかなかわからないことで、それについて皆さんが論争しているのはいいことだとは思いますが、しまいには感情的になってしまうということが残念でなりません。論理の整合性で判断を仰げばいいわけで、どうしても相手を負かしてやろうというのは後味が悪いです。
毒まんじゅうについても真実はよくはわかりません。武市瑞山だったらどうしたろうか。もし食べさせたとしたならばどんな理由でそうしたのか。想像力を働かせることは楽しいことだと思います。それが歴史の楽しみのような気がします。
Posted by 南宜堂南宜堂 at 2010年07月06日 22:31
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