2008年03月14日

姨捨から「時代おくれ」に飛躍するということ

 平安時代の大和物語や今昔物語の姨捨伝説から江戸時代の更科紀行へ、その歴史の流れの間に室町時代に完成した能の「姨捨」というものがあります。世阿弥作といわれる「姨捨」ですが、どうも伝統芸能は苦手で、意図的に無視して「姨捨伝説」を紹介したのですが、やはり室町時代の能「姨捨」について考えないと、芭蕉の俳句はわからないようです。
 能のあらすじというのは説明するのが難しいのですが、簡単に。都の風流人が姨捨の月を見ようとやってきます。たまたま通りかかった村の女に、姨が捨てられた場所はどこなのかと尋ねます。女は桂の木を指し、ここがその場所であるといいます。村の女は夜になったら夜遊びをしてお慰めしましょうと言い置いて去っていきます。
 夜になり、都の風流人が月見をしていると白い衣裳をまとって老女が現れ、自らの老いを嘆き昔を懐かしみながら舞を舞うというのがおおまかなストーリーです。
 風流心がないのか、能についての知識もあやふやなので説明するのが難しいのですが、多くの能、夢幻能といわれるものですが、思いを残して死んだ人(ここでは姨ということになるのですが)の霊が現れて、ワキであるここでは都の風流人ですが、に対して思いを語り舞を舞うというのが様式として決まっているようです。
 宮田登さんという自らも能楽師である方の書いた「ワキから見る能世界」(生活人新書)はなかなか面白い本で、自らもワキである宮田さんから能楽におけるワキというものについていろいろ教えていただきました。
 「姨捨」からもわかるように能楽におけるワキは主役であるシテに対して付随的な役割というか傍観者のような立場です。たいがいの場合が旅の僧で、旅の途中通りかかった因縁の場所でシテである主人公の霊に出会うのです。
 シテである主人公は歴史的にもまた文芸上でもよく知られた人物ですし、能の中でも饒舌に自らのことを語るのですが、ワキについては無名の僧であるというだけで、ほとんどの場合はその素性も知られていません。宮田さんは、しかしワキにも背景はあり、シテに巡り会う必然があると説明します。その辺の所は割愛させていただきますが、芭蕉はおそらくこの能を踏まえみずからをワキである都の風流心人に擬して「おもかげや」の句を詠んだのではないかと思います。
 そんなわけで、芭蕉の例の俳句「おもかげや姨ひとり泣く月の友」はどうも大和物語の物語というよりは、能「姨捨」を踏まえているように思います。「ひとり泣く姨」への思いを寄せながらも、じっと月を見ている芭蕉の姿はひとつの人生観のような気がいたします。
 と、突然話は飛んでしまいますが、川島英五の「時代おくれ」という歌があります。おとうさんたちの愛唱歌だそうですが、あの歌詞の「人の心を見つめつづける」というのが人生を見つめる力足らずのワキのせいぜいできることではないかと思うのであります。
 この世のこと、何を取っても思い通りにはなりません。生きたいと思っても死んでいく人はいるわけだし、出世したいと思ってもそうもいきません。人間を長くやっていますと自然とそういうことはわかってくるわけでして、その状況からじやあどうやって生きていくんだという問いがはじまるのでしょう。

時代おくれ 
一日二杯の酒を飲み
魚は特にこだわらず
マイクが来たなら 微笑んで
十八番(おはこ)を一つ 歌うだけ
妻には涙を見せないで
子供に愚痴をきかせずに
男の嘆きはほろ酔いで
酒場の隅に置いて行く
目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは 無理をせず
人の心を見つめつづける
時代おくれの男になりたい
 
不器用だけれど しらけずに
純粋だけど 野暮じゃなく
上手なお酒を飲みながら
一年一度 酔っぱらう
昔の友には やさしくて
変わらぬ友と信じこみ
あれこれ仕事もあるくせに
自分のことは後にする
ねたまぬように あせらぬように
飾った世界に流されず
好きな誰かを思いつづける
時代おくれの男になりたい
 
目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは 無理をせず
人の心を見つめつづける
時代おくれの男になりたい

 作詞は先日亡くなった阿久悠、そして川島英五も早くに亡くなりました。「不器用だけれど」から後は少し気に入りません。ちょっとええかっこしすぎのような気がします。おとうさんたちはもっとぶざまだと思いますよ。
 

  

Posted by 南宜堂 at 00:05Comments(0)