2008年03月26日
生きていくには
世を捨てたといえども、生きている以上は食べなければなりません。旅をするにも費用がかかります。西行は職場を退職して、いわば脱サラして自由人となったわけなのですが、生活費はどうしていたのでしょう。和歌の添削指導で生活を立てていたとも思えません。おそらく、佐藤家の荘園からあがる収入があったのでしょう。
ちょっと時代は下りますが、一遍にくらべたら優雅な出家生活だったことでしょう。一遍のようにすべてを捨てて漂白する聖たちにとって、日々の糧は乞食をして得るか、勧進の一部を生活費にするかしかなかったのです。現代では乞食という言葉はほぼ死語となっており、また差別語として使ってはいけないのかもしれません。ホームレスはよくて乞食はいけないというのも変な話です。乞食というのは当時としては立派な聖たちの修行のひとつでした。また。ある文献によれば、「踊り念仏」を興業として行っていたのではないかともいいます。踊り念仏は、一種のエクスタシー状態の中で男女の僧が入り乱れて足を踏みならし裾を翻して踊るわけですから、人によっては卑猥と感じたのかもしれません。非難する人も多かったようです。しかも、時宗の衣というのは裾が短い、いってみればミニスカートのようなものだったようですから、より扇情的だったのかもしれません。下着などつけておりませんから、時には秘所が見えることもあると非難する文書は記しています。こういう非難を逆手にとって、一遍は尼を前面に出して踊らせたなどともいわれていますが、真偽のほどはわかりません。しかし、その後の芸能の発展に対しての時宗僧の果たした役割を考えると、一遍にはそんな興行師としての才能があったのではないかと考えるのも興味深い話です。
中世では、一度ドロップアウトしてしまえば、苦しいしいつ命を落とすかわからないような日々ではあっても、なんとかまわりに恵んでもらったりして生きていけたのではないかなと思ってしまいます。近世においても、良寛なんか日々の頂き物を記録していますが、そんな頂き物と托鉢とそれから書を書いてなんとか暮らしていたようです。
いつの間にか資本主義というのが日本全土を覆い尽くしまして、カネを稼がないとまともな生活ができないような世の中になってしまったようです。働けない人間はのたれ死ぬか生活保護を受けるか、受けても飢え死にする人もいます。一遍の率いる集団では病気のものや足弱のものはまわりから守られてともに旅を続けたようです。
つげ義春のマンガに河原から石を拾ってきて、それを並べて売っている人の話がありますが、世間にうまく適応できなかったり、弱くて働けなかったりする人というのはなるべく生きていてもらいたくないというのが世間の良識のようです。「働かざるもの食うべからず」とはこの世間の真理なのでしょう。このこともう少し考えてみたい気がします。
ちょっと時代は下りますが、一遍にくらべたら優雅な出家生活だったことでしょう。一遍のようにすべてを捨てて漂白する聖たちにとって、日々の糧は乞食をして得るか、勧進の一部を生活費にするかしかなかったのです。現代では乞食という言葉はほぼ死語となっており、また差別語として使ってはいけないのかもしれません。ホームレスはよくて乞食はいけないというのも変な話です。乞食というのは当時としては立派な聖たちの修行のひとつでした。また。ある文献によれば、「踊り念仏」を興業として行っていたのではないかともいいます。踊り念仏は、一種のエクスタシー状態の中で男女の僧が入り乱れて足を踏みならし裾を翻して踊るわけですから、人によっては卑猥と感じたのかもしれません。非難する人も多かったようです。しかも、時宗の衣というのは裾が短い、いってみればミニスカートのようなものだったようですから、より扇情的だったのかもしれません。下着などつけておりませんから、時には秘所が見えることもあると非難する文書は記しています。こういう非難を逆手にとって、一遍は尼を前面に出して踊らせたなどともいわれていますが、真偽のほどはわかりません。しかし、その後の芸能の発展に対しての時宗僧の果たした役割を考えると、一遍にはそんな興行師としての才能があったのではないかと考えるのも興味深い話です。
中世では、一度ドロップアウトしてしまえば、苦しいしいつ命を落とすかわからないような日々ではあっても、なんとかまわりに恵んでもらったりして生きていけたのではないかなと思ってしまいます。近世においても、良寛なんか日々の頂き物を記録していますが、そんな頂き物と托鉢とそれから書を書いてなんとか暮らしていたようです。
いつの間にか資本主義というのが日本全土を覆い尽くしまして、カネを稼がないとまともな生活ができないような世の中になってしまったようです。働けない人間はのたれ死ぬか生活保護を受けるか、受けても飢え死にする人もいます。一遍の率いる集団では病気のものや足弱のものはまわりから守られてともに旅を続けたようです。
つげ義春のマンガに河原から石を拾ってきて、それを並べて売っている人の話がありますが、世間にうまく適応できなかったり、弱くて働けなかったりする人というのはなるべく生きていてもらいたくないというのが世間の良識のようです。「働かざるもの食うべからず」とはこの世間の真理なのでしょう。このこともう少し考えてみたい気がします。
Posted by 南宜堂 at
11:55
│Comments(0)