2010年09月12日

風雲烏城 あらすじ

 「烏の森風雲録」の続編のつもりが、いつのまにかおかしな時代小説気取りになり、恥をさらしております。というわけで、このへんでいったん終止符を打ち、もっと修業を積んだところで続編を書くべきという結論となりました。とりあえず、少し筆者の意図のようなものを記しておきます。
 喉元過ぎれば熱さも忘れる。時間というのはありがたいもので、どんな嫌なことがあってもだんだんとそれは思い出になっていきます。戦争の記憶もそうです。小田実が亡くなり、井上ひさしが亡くなり、戦争は悪だということを声高に叫ぶ人がどんどんといなくなっていきます。過去のことは過去のこと、しかし過ちはゆるせない、そういう思いというのは意識して持続しない限り思い出となっていくようです。
 さて、この物語は猿飛佐助の誕生譚です。種本は立川文庫、立川文庫のことを語りはじめたらそれは小説のように興味深い話がたくさんあるのですが、それはまたの機会に。
 鳥居峠の山の中に鷲塚佐太夫という郷士が住んでおりました。佐太夫に二人の子があり、姉は小夜弟は佐助といいました。この佐太夫、立川文庫では信州川中島の領主森長可の家臣ということになっておりますが、ここでは奥州烏城主榎本釜揚の元家臣としてあります。
 佐太夫は諸国の浪々中の身でありましたが、榎本家の家老梶山主善に見込まれ、烏城に仕官します。ところがこの烏城にお家騒動が持ち上がるのです。
 事の発端は奥方が若くして亡くなったことです。後には幼い姫が残されました。しばらくして釜揚のもとに新しい奥方が輿入れしてきます。西国筋の大名の世話で、豪商橋本屋の出戻り娘でありました。名を朱里とでもしましょうか。京のさる公家の養女となって輿入れしたのです。しかも朱里には連れ子までおりました。女の子でありました。
 この朱里の方、政事向きのことに口を出すのが好きで、何かといえば出しゃばってあれこれ家臣に命令を下すのです。思いあまって釜揚に訴え出ても、「朱里の言うとおりにせい」というばかりで取り合ってもくれません。そのうち朱里の方の出しゃばりはますます激しくなり、それを快く言わない家臣は左遷されるか、いつのまにか追放されてしまうのでした。
 そのうちに恐ろしいことが発覚しました。釜揚の実の娘である幼い姫を亡きものとして、自分の娘に養子を取って烏城を継がせようという朱里の方の企みでした。それを家老梶山に知らせたのは、朱里の方が寵愛する若い武士でした。自分が姫を抹殺する役目を命ぜられ、恐ろしくなって駆け込んできたのです。
 この朱里という女、烏城に来る前はどんな人生を歩んできたのか。一度嫁いではみたものの、いろいろと不幸が重なり、いたたまれず実家に帰ってきたものでしょう。実家で周りの白い目に耐えながら娘と日々を送っていましたが、たまたま世話をする人があり、奥州に嫁ぐことになりました。年の離れた殿ですが、贅沢はいえません。また、自分が望まれたわけではなく、相手は橋本屋の財力と政治力が狙いなのはわかっています。まわりの白眼視から早く逃れたかったのです。
 嫁いだ朱里ですが、もう失敗はゆるされません。何とかここで幸せを掴まねばならないのです。そのためには、釜揚の実子を亡きものにして、自分の子に烏城を継がせるのがいちばんと考えたのでしょう。
 家老梶山は何とかこのことを釜揚に訴え、朱里を烏城から追放しようとしますが、薬を使って洗脳されている釜揚には何も言っても無駄ではないかと危惧します。とりあえずは、姫だけでも安全な場所に移したい。
 相談を受けた佐太夫は、自分たち夫婦が姫を連れて烏城を出奔し、安全な場所にかくまうことを申し出ます。こうして、佐太夫は妻とともに故郷信州の鳥居峠に逃れ、姫を自分たちの娘小夜として育てます。そのうち、二人には男の子が生まれ、佐助と名付けられます。
 一方烏城では、梶山がなんとか朱里の悪事を暴こうとしますが、信頼できる部下が次々と朱里により追放され孤立してしまいます。そんな焦燥の日々の果て、梶山は心労のため病に伏し、やがて帰らぬ人となってしまうのです。
 知らせを受けた佐太夫ですが、自分一人の力ではなんともすることができません。  

Posted by 南宜堂 at 23:18Comments(2)