2010年06月01日
ネット社会の非常識 崩壊の予感
例の団体のこと、まとめをした後でも次から次へとエピソードが出て来て、書くことに事欠かないのであるが、どうも現在は停滞期に入っているようである。
会員が思うように増えない。従って、ホームページの掲示板をにぎわすのも主宰者とその取り巻き、あとは一人か二人という状況である。時にはサクラを使って偽の投稿をしているような形跡もある。これらのことは実際にその団体の中にいるわけではないので、あくまでも推測だが、ひんばんに削除が行われたりしているから間違いはなかろう。
主宰者もその取り巻きも、会を偽装解散して嫌な会員を追い払い、新たに同じ名称の会を立ち上げた時は、楽しい会にしようとしていたのだろう。自分たちに対する批判勢力がいなくなったのだから、楽しくなるはずであった。しかし、そこにいくつかの誤算も生じた。
第一に、前の会の会員の中で一部を排除すればいいと思っていたにもかかわらず、新しい会に戻ってきてくれたのはその四分の一程度しかいなかったということ。これは主宰者とその取り巻きの人望がないのだからさもありなんとは外から見ていれば思うのだが、当事者としては予想外だったのだろう。
それとやったことが卑劣であれば、なおさら退く人は多いだろう。反対に主宰者を批判して役員を辞任した人たちへの人望は厚かった。
一つの例を挙げると、先日この会の前の幹部が大きくかかわったひとつのイベントがあった。この幹部は、主宰者らから「五人組」と名指しされ、新しい会への入会も拒否された人である。しかし、多くの旧会員はこの人が主宰者をサポートして、会のために尽力していたことはよく知っていた。
このイベントには、かつて例の会の会員であって、新しい会には参加しなかった人たちが多く集った。その数は、旧会員で新会に参加しなかった人の三分の一にも上ったのである。遠くは九州から駆けつけた人もいた。
皆この幹部の人柄に曵かれ、解散後のこの幹部の身を案じて激励に駆けつけたのである。
第二に、あのモラルである。私ならまず、あのモラルがあれば入らない。入会していても、あのモラルが発表された瞬間に身を退く。
趣味の会なのである。あの上から目線はいったい何なのだろうか。そもそもモラルというものは、上が決めて下に守らせるようなものなのだろうか。
モラルというのは、信頼関係でつながった人たちの間に、自然に生まれるものなのではないだろうか。こういう人の間では、誹謗中傷など起こるはずもなく、批判する場合にも言葉を選ぶだろう。
この団体のように、力で会員を押さえつけようとすれば、誰もいなくなるということは目に見えている。
会員が思うように増えない。従って、ホームページの掲示板をにぎわすのも主宰者とその取り巻き、あとは一人か二人という状況である。時にはサクラを使って偽の投稿をしているような形跡もある。これらのことは実際にその団体の中にいるわけではないので、あくまでも推測だが、ひんばんに削除が行われたりしているから間違いはなかろう。
主宰者もその取り巻きも、会を偽装解散して嫌な会員を追い払い、新たに同じ名称の会を立ち上げた時は、楽しい会にしようとしていたのだろう。自分たちに対する批判勢力がいなくなったのだから、楽しくなるはずであった。しかし、そこにいくつかの誤算も生じた。
第一に、前の会の会員の中で一部を排除すればいいと思っていたにもかかわらず、新しい会に戻ってきてくれたのはその四分の一程度しかいなかったということ。これは主宰者とその取り巻きの人望がないのだからさもありなんとは外から見ていれば思うのだが、当事者としては予想外だったのだろう。
それとやったことが卑劣であれば、なおさら退く人は多いだろう。反対に主宰者を批判して役員を辞任した人たちへの人望は厚かった。
一つの例を挙げると、先日この会の前の幹部が大きくかかわったひとつのイベントがあった。この幹部は、主宰者らから「五人組」と名指しされ、新しい会への入会も拒否された人である。しかし、多くの旧会員はこの人が主宰者をサポートして、会のために尽力していたことはよく知っていた。
このイベントには、かつて例の会の会員であって、新しい会には参加しなかった人たちが多く集った。その数は、旧会員で新会に参加しなかった人の三分の一にも上ったのである。遠くは九州から駆けつけた人もいた。
皆この幹部の人柄に曵かれ、解散後のこの幹部の身を案じて激励に駆けつけたのである。
第二に、あのモラルである。私ならまず、あのモラルがあれば入らない。入会していても、あのモラルが発表された瞬間に身を退く。
趣味の会なのである。あの上から目線はいったい何なのだろうか。そもそもモラルというものは、上が決めて下に守らせるようなものなのだろうか。
モラルというのは、信頼関係でつながった人たちの間に、自然に生まれるものなのではないだろうか。こういう人の間では、誹謗中傷など起こるはずもなく、批判する場合にも言葉を選ぶだろう。
この団体のように、力で会員を押さえつけようとすれば、誰もいなくなるということは目に見えている。
2010年06月01日
続 でもくらちいを考える
慶応3年10月、徳川慶喜が大政奉還をした時点で、いわゆる「でもくらちい」について真剣に考えていたものがはたしていたのだろうか。
横井小楠の影響を受けた坂本龍馬が、後藤象二郎に話したという「船中八策」、そこには、
「一、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事。」
という項目がある。この「上下議政局」は今でいうところの議会と考えてもいいだろう。その構成は、上院は大名、下院は藩士クラスの代表が構成員であり、農工商の身分のものたちはここには入っていない。
おそらく、このあたりが当時の「でもくらちい」のもっとも進んだ姿ではなかったか。
大政奉還を行った慶喜はどうなのかというと、この龍馬の構想したような政体を考えていたのではなかった。慶喜の場合、大政奉還は乗ってみせただけのものであり、本心は幕権をより強力にする手段として考えていたようである。この後招集される大名会議(上院)において慶喜が盟主として推挙されれば、より強い権力を掌握できる。すなわち、徳川絶対主義的なものを指向していたのだ。
一方、薩摩や長州の場合はどうなのか。彼らの狙いはあくまでも武力倒幕である。倒幕の後の政権についての構想があったようにも見えない。強いていえば天皇中心の絶対主義国家が何人かの指導者の頭にあったのかもしれないが、「万機公論」の具体的な政策はなかった。
どうもあのとき、まがりなりにも機会主義的なものを指向していたのは土佐や越前、そして幕府の中に少数いた「公議政体派」とよばれる人々であったようだ。
しかし、彼らの存在は王政復古のクーデターにより、薩長の武力倒幕派に吸収されていき、急速にその基盤を失っていく。
そして置き去りにされた農工商の「でもくらちい」が目覚めるのは、西南戦争後の自由民権運動まで待たなくてはいけなかった。
横井小楠の影響を受けた坂本龍馬が、後藤象二郎に話したという「船中八策」、そこには、
「一、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事。」
という項目がある。この「上下議政局」は今でいうところの議会と考えてもいいだろう。その構成は、上院は大名、下院は藩士クラスの代表が構成員であり、農工商の身分のものたちはここには入っていない。
おそらく、このあたりが当時の「でもくらちい」のもっとも進んだ姿ではなかったか。
大政奉還を行った慶喜はどうなのかというと、この龍馬の構想したような政体を考えていたのではなかった。慶喜の場合、大政奉還は乗ってみせただけのものであり、本心は幕権をより強力にする手段として考えていたようである。この後招集される大名会議(上院)において慶喜が盟主として推挙されれば、より強い権力を掌握できる。すなわち、徳川絶対主義的なものを指向していたのだ。
一方、薩摩や長州の場合はどうなのか。彼らの狙いはあくまでも武力倒幕である。倒幕の後の政権についての構想があったようにも見えない。強いていえば天皇中心の絶対主義国家が何人かの指導者の頭にあったのかもしれないが、「万機公論」の具体的な政策はなかった。
どうもあのとき、まがりなりにも機会主義的なものを指向していたのは土佐や越前、そして幕府の中に少数いた「公議政体派」とよばれる人々であったようだ。
しかし、彼らの存在は王政復古のクーデターにより、薩長の武力倒幕派に吸収されていき、急速にその基盤を失っていく。
そして置き去りにされた農工商の「でもくらちい」が目覚めるのは、西南戦争後の自由民権運動まで待たなくてはいけなかった。
Posted by 南宜堂 at
19:00
│Comments(14)