2010年06月17日

汗血千里駒

 高知へ戻った坂崎は、「立志社」の機関誌・土陽新聞の編集長となる。そして明治13年9月から、間崎滄浪、平井収二郎、坂本龍馬らといった土佐出身の志士たちのことを小説「南の海血汐の曙」に書き、連載をはじめたのである。
 その後は、板垣退助の遊説に同行したり、民権一座をつくり講演してまわったりと民権運動に挺身するが、その度に不敬罪などで捕まり裁判にかけられた。
 保釈中の明治16年、「土陽新聞」小説「汗血千里駒」の連載をはじめた。これが本格的な坂本龍馬の伝記の最初である。龍馬再発掘のきっかけともなった「汗血千里駒」の作者は坂崎斌、号は紫瀾と称した。

 その「汗血千里駒」の冒頭には、井口村事件が取り上げられている。井口村事件は文久元年に土佐藩内で起こった刃傷事件で、上士と下士の関係を象徴するものであった。この時の龍馬は下士たちのリーダーであり、自刃した仲間の血潮に自らの刀の白下緒を浸し復讐を誓うのである。
 坂崎は、幕末の土佐における上士と下士の対立を明治10年代における薩長藩閥と民権論者の対立に置き換え、龍馬に縦横無尽の活躍をさせる。つまり、「汗血千里駒」は民権論者の主張を龍馬に仮託した政治小説なのである。  

Posted by 南宜堂 at 13:08Comments(0)幕末・維新